ロシアの歴史
https://ja.wikipedia.org/wiki/モスクワの歴史
モスクワ大公国
キエフ・ルーシの北東辺境地にあったルーシ系のウラジーミル・スズダリ公国のもとに成立した国家である。
国力を蓄えるに従い、15世紀末以降キエフ・ルーシの相続人を自認し始めた。
1480年、イヴァン3世がウグラ河畔の対峙を経てタタールのくびきから脱し、ビザンティン帝国の皇帝・コンスタンチヌス11世の弟の娘であるゾエ・パレオロギナと結婚した。
この結果、モスクワ大公国は、東ローマ帝国の称号・儀式・使用語彙・「双頭の鷲」の紋章などを継承して、オスマン帝国に滅ぼされたばかりの東ローマ帝国の後継国家となった。
「モスクワは第三のローマである」という神学的・政治的な主張は、15世紀から16世紀のモスクワ大公国で形成された。
ロシア・ツァーリ国
1547年イヴァン4世がツァーリ(王または皇帝を意味する君主号)として戴冠する。これ以後、モスクワ国家はロシア・ツァーリ国(ツァールストヴォ・ルースコエ)と自称する。
ただしロシア国外においては一部の国家を除き、“ツァーリ”ないし“皇帝”の位は認められず、1721年まで大公の地位を持ち合わせていた。
1547年にイヴァン4世がツァーリの称号を帯びて以後、1721年にピョートル1世がロシア帝国の建国を宣言するまで用いられていた。