カール大帝(神聖ローマ帝国#1)

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カール大帝(神聖ローマ帝国#1)

カール大帝フランス語Charlemagne, カールたいてい、Karl der Große)、またはシャルルマーニュCharlemagne)(742年?/747年?/748年4月2日 – 814年1月28日[1]

オーストリアを含むドイツ及びフランスの始祖的英雄と見なされるため、カール1世(独)やシャルル1世(仏)と称される。ドイツ語読みとフランス語読みを共に避けて英語読みのチャールズ大帝(英: Charles the Great)という表記が用いられることもある

フランク王国国王(在位:768年 – 814年)

初代神聖ローマ皇帝(在位:800年 – 814年)。

フランク・ローマ皇帝カロルス・マグヌスKarolus Magnus)として、ローマ教皇レオ3世より帝冠を受けた[注 1]

カールの王国は現在のフランス、ベルギーオランダルクセンブルクスイスオーストリアスロヴェニアモナコサンマリノバチカン市国の全土と、ドイツ、スペイン、イタリアチェコスロヴァキアハンガリークロアチアの各一部に広がった。このことによって、イギリスアイルランドイベリア半島、イタリア南端部をのぞく西ヨーロッパ世界の政治的統一を達成し、イングランドデンマークスカンジナビア半島をのぞく全ゲルマン民族を支配してフランク王国は最盛期を迎えた。

カールは、ゲルマン民族の大移動以来、混乱した西ヨーロッパ世界に安定をもたらしたのである。

古典ローマカトリックゲルマン文化の融合を体現したカール大帝は、中世以降のキリスト教ヨーロッパの王国の太祖として扱われており、「ヨーロッパの父」とも呼ばれる[2]

カール大帝の死後843年ヴェルダン条約でフランク王国は分裂し、のちに神聖ローマ帝国フランス王国ベネルクスアルプスからイタリアの国々が誕生した。

シャルルマーニュは、カペー王朝オットニア王朝ルクセンブルク家イヴレア家[f]ハプスブルク家など、ヨーロッパの多くの王室の直接の祖先です。

フランシア、8世紀初頭
カール時代のフランク王国(がカール即位時のフランク王国、赤橙がカールの獲得領、黄橙がカールの勢力範囲、は東ローマ帝国領)

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