通貨、紙幣、銀行券、手形

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通貨、紙幣、銀行券、手形

通貨とは、国内の商業取引において、額面に等しい金額の支払いとして必ず受け取らなければならない強制力をもつ「法貨」をいう。

紙幣または銀行券は、発行した銀行に持ち込めば直ちに同額の通貨(銀貨または銀貨)と交換できるという持参人一覧払いの「信用」のあるものをいう。

紙幣は通常、国家単位で国の信用をもとに唯一の「中央銀行(政府銀行)」が発行するものをいう。

一方、銀行券は発行の許された民間の銀行または個人の銀行家が銀行業務として発行することができる有価証券だが、現代ではほぼ許さることはない。

現代の電子マネー、QRコード決済のためのいわゆる○○ペイがそれに代わるものかもしれないが、通貨と交換可能な銀行券とは明らかに異なる。

メルペイなど通貨と交換できる場合もあるが、通常、同額の通貨との交換は不可能なので、下記の手形と同等かもしれない。

ちなみに、かつて選択条項のある銀行券があったらしい。

何年か前に、スコットランドのいくつかの銀行が銀行券に、いわゆる選択条項を書き込むようにした。

この条項の下で、銀行券が提示されしだい直ちに支払うか、六か月後にその間の法定金利を加えて支払うかの選択権を銀行の経営者がもつと規定された。

国富論第二編第二章 資本の性格、蓄積、利用

これでわかると思うが、紙幣と銀行券は、発行銀行にとってその所有者に対する借金なのである。

手形(約束手形、為替手形)は支払い時期や手数料の条件があり、銀行に持ち込んで必ずしも通貨と交換できるわけではない。

紙幣は規制によって、ほぼ事業者間の取引だけに使われるようにすることもできるし、事業者と消費者の間の取引の大部分にも使われるようにすることもできる。

ロンドンのように額面10ポンド以上の銀行券しか流通していない地域では、紙幣の利用はほぼ、事業者間の取引だけにかぎられている。

10ポンド札を消費者が受け取った場合、せいぜい5シリングの買い物をするために立ち寄った最初の店で崩すしかなく、40分の1も使わないうちに事業者の手に戻ることも多い。

国富論第二編第二章 資本の性格、蓄積、利用

1ポンド=20シリング、日本の1万円くらいだろうか

買い物が5シリング、0.25ポンド=2500円くらい考えれば、実態と合いそうだ。

そうすると、10ポンド紙幣は10万円札となって、それで2500円の買い物をすることになる。

それじゃあ、取引の手段としては不便極まりない。

「紙幣は規制によって、ほぼ事業者間の取引だけに使われるようにする」というのもわかる。

スコットランドのように、20シリング(1ポンド)札という少額の銀行券が発行されている地域では、事業者と消費者の間の取引にもかなりの程度まで紙幣が使われている。

法律によって10シリング札と5シリング札が流通しなくなるまでは、事業者と消費者の間の取引で紙幣がもっと使われていた。

国富論第二編第二章 資本の性格、蓄積、利用

スコットランドでは、1ポンド札(一万円札)が発行されているということは、イングランドの紙幣は、「10万円札」しかなかったということか!?

10シリング札(五千円札)、5シリング札(2500円札)があったころは、消費者はもっと紙幣を使っていたというが、それはそのとうりだろう。

スコットランドでは、なぜ小額紙幣を廃止したのだろうか?

北アメリカでは1シリング札という少額の紙幣も一般に発行されており、取引の大部分が紙幣によって行われている。

イングランドのヨークシアでは、6ペンス札が発行されたこともある。

国富論第二編第二章 資本の性格、蓄積、利用

1シリング札(500円札)、6ペンス札(0.5シリング=250円札)というような少額の紙幣が発行されると、次のようなことが起こりうる。

ここまで少額の銀行券の発行が許され、ごく普通に流通していると、資力の乏しい人でも銀行家になれるし、銀行家になろうと考える人が多くなる。

・・・・信用の低い人でも、6ペンスの少額の約束手形を振り出した場合には、とくに問題にされることもなく受け取ってもらえる。

しかしそこまで資力の乏しい銀行家なら倒産する場合も多くなり、極端に不都合な事態も起こるだろうし、倒産した銀行家が発行した銀行券で支払いを受けていた多数の貧乏人とっては、悲惨な事態にすらなりかねない。

国富論第二編第二章 資本の性格、蓄積、利用

銀行家とは紙幣発行権とは言わないまでも、為替手形の引き受け、つまり郵便為替を発行できる事業者と考えればいいのだろう。

現代ではもちろんそのような銀行家は認められず、為替手形や小切手の発行業務ができるのは銀行法で定められた事業者のみである。

こうした規制は確かに、ある点で自然な自由を侵害するものだといえる。

しかし、少数の個人による自然な自由の行使が社会全体の安全を危険にさらしかねない場合には、どの国の政府の法律でも自由に制限を加えているし、加えるべきである。

国富論第二編第二章 資本の性格、蓄積、利用

銀行業務つまり銀行券の発行の自由は、本位制ではない現代においても公共の福祉によって制限されるべきなのである。


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