巨大な宗教組織の崩壊
ヨーロッパの大部分で10世紀から、11世紀、12世紀に、13世紀にかけて、そしてその前後のかなりの期間にわたって続いていた状況では、ローマ教会は、政府の権威と安全に対して、さらには政府が保護する力をもたないかぎり開花できない人類の自由と理性と幸福に対して、かつてなかったほどの脅威を与える組織になっていた。
この組織では、最悪の迷信すらきわめて多数の人の利害によって支えられていたので、人類の理性によって暴かれる危険がまったくない状態になっていた。
人類には理性があるので、迷信のいくつかを暴いて、庶民の目にも惑わしにすぎないと理解できるようにすることはできるかもしれないが、利害関係による結びつきを解体することはできなかったからだ。
この組織は、人類の理性による弱々しい努力以外に何の攻撃も受けなかったとするなら、永遠に続いていただろう。
だが、人類が知恵と徳をつくしても揺るがすことができず、ましてくつがえすことがことなどできなかった巨大で頑強な組織が、ものごとの自然の動きによって、まずは弱まり、後に一部が破壊され、おそらく今後何世紀かのうちに、まったく崩壊すると思える状況になっている。
国富論第五編第一章第三節第三項 生涯教育のための機関の経費
カペー王朝のロベール二世(治世996〜1031年)がまったく不当な理由でローマ法王庁に破門されたき、召使が国王の食卓から下げた料理を犬に食べさせ、破門された人が触った料理など汚らわしいといって、自分では食べようとしなかったという。
国内の聖職者にそうするよう教えられたからだと考えて、まず間違いない。
国富論第五編第一章第三節第三項 生涯教育のための機関の経費
フランス王が食べないで食卓から下げた料理。召使いなど一生食べることなどできないような高級な料理であろう。
それにも関わらず、聖職者の助言で「汚らわしい」といって、召使いは自分では食べず(おそらく自分の意思で)犬のエサにするとは、今では考えられない狂信的な教義、助言と言わざるをえない。
「おそらく今後何世紀かのうちに、まったく崩壊すると思える状況になっている。」
アダム・スミスの『国富論』は18世紀末に著された。
この文書の解釈が難しい。
現状のローマ教会は弱ってきたものの、未だ一定の勢力を奮っているが、18世紀以降何世紀か後には、まったく崩壊すると理解することにする。
今は、21世紀初頭、約2世紀が過ぎたところだ。
人間の理性によって、おそらくアダム・スミスが想定していなかったであろうような、自由主義・民主主義に基づく主権者(国民)が認められるようになった現代において、ローマ教会(バチカン)がもっていた不合理と思える力はたしかに弱まっている。
というか、迷信的、狂信的な教義に基づいて権力を奮っているローマ教会、教皇を現実に見たことがない。
アダム・スミスが生きていて、現代社会を観察すれば、ローマ教会は実質的に崩壊したと結論づけるかもしれない。
ただ、迷信的な教義を人間の理性によってくつがえすことのできない巨大な宗教が、アダム・スミスの憂いていたローマ教会以外に今も存在している。
この巨大な宗教も、今後何世紀かのうちに崩壊するのだろうか。
数十年生きてきたなかでは、「ものごとの自然の動きによって、まずは弱まり、後に一部が破壊され・・」ているようには見えない。