古代西洋音楽
ピタゴラス音律
ピタゴラスは音楽と数学は宇宙の秩序に通じると考え、 音の高さの相対的な関係を整理した体系(正律音調)を発見した。
テトラコルド
https://ja.wikipedia.org/wiki/テトラコルド
古代ギリシアでは全音音階、半音階、さらに4分音階に分けていた。
ディアトノン、クローマティコン、エンハルモニオンの3つの種類が有った。
ディアトノン:半音・全音・全音(BCDE)と(EFAB)
クロマティコン:半音・半音・短三度、(BC C♯E)と(EF F♯B)
エルハルモニオン:上の長三度と下の半音よりも狭い2つの音程(B B♯C E)(EE♯F B)
全音階(オクターヴの音程を5つの全音と2つの半音で満たす七音音階)はディアトノンのテトラコルドに由来している。
音階
ギリシア人は様々な音階様式にたいして感情的で、超自然的な特徴を見出し、それらに関係した複雑な音楽体系をつくりあげていた。
プラトンは、ドーリア式、フリギア式(Phrygian mode)、リディア式(Lydian mode)などの様式の適切な使用法について述べている。
混合リディア調や高音リディア調は悲しみを帯びており、イオニア調やリュディア調は柔弱だったり、酒宴にふさわしく、ドリス調とプリュギア調は戦士にふさわしい、などと論じている。(ドーリア音階は荒々しく、フリギア音階は官能的…など)。
古代ギリシアの音楽家たちは同時に複数の音を鳴らすというテクニックを利用していたが、音楽としてポリフォニック(対位法、多重メロディ)はなく、モノフォニックであった。
リラ(竪琴)
古代ギリシアにおいて朗読会はリラで伴奏された。プルタルコスは、オリュンポスとテルパンデルは朗読会ではわずか3弦のものを用いたという。
紀元前8世紀頃になるとポリスが成立、文芸が発展した。ホメロスやヘシオドスらの叙事詩が盛んであり、その伴奏としてはフォルミンクスと呼ばれる4弦の小型の竪琴が用いられた。
フォルミンクス(英語版)は、リラとキタラの中間であるヨークリュート科で最も古い弦楽器の1つ。歴史的には7弦のキタラに取って代わられた。
テトラコルドを2倍にすることで、4弦の楽器から7ないし8弦の楽器がもたらされた。
中世ヨーロッパにおいてlyra、 liraなどの名称は、撥弦楽器のみならず似た形状の弓で弾く擦弦楽器にも用いられるようになった。
紀元前7~6世紀になると僭主政治が横行するが、その僭主の宮廷では芸術家らが熱心な保護を受けた。サッフォーやピンダロスらが叙情詩を盛んにつくり、悲劇も台頭してくる。アウロスが一般化し、キタラは7弦化される。
紀元前5世紀には民主政治が発達するとともに、文化の諸領域が世俗化していった。
すると、知識人らは懐古趣味と非現実的抽象化の傾向に陥ったことにより、キタラの多弦化、多弦ハープの流行と音階の混用、キタラ伴奏歌曲とアウロス伴奏歌曲の無境界化など、音楽は伝来の制約や規範、秩序から逸脱していくことになる。
一方で、音楽が「演奏」から「鑑賞」の対象へと変化していく。
ペロポネソス戦争を経てその後マケドニアが支配するようになると、ギリシャのポリスは衰退し地中海沿岸の植民地へ人口が流出するともに、音楽理論やその用語がローマ文化圏(西ヨーロッパ)へ伝播していった。
古代ローマの時代
古代ローマでは併合したギリシアの音楽の影響を受けていたとされるが、楽譜は伝わっておらず、実態は不明である。
初期キリスト教の音楽
古代の末期に見られた初期キリスト教音楽(原始キリスト教)の姿も不明である。
現存する最古(紀元280年)のキリスト教(東方諸教会)の聖歌は、オクシリンコス・パピルスに含まれていた「三位一体の聖歌」(オクシリンコスの賛歌)がギリシア記譜法で記されたものである。
ローマ帝国下の初期キリスト教会の集会では、世俗的な音楽とは区別するために楽器による伴奏を極力排除した。4世紀には聖職者の職務としてのカントル(独唱歌手)の地位が確立した。
初期キリスト教会ではローマ帝国の優れた情報伝達網によって典礼方式や聖歌の統一が図られた。そしてローマカトリック教会が力を持つと、地方聖歌はグレゴリオ聖歌として統一されることになる(中世西洋音楽参考)。