第一次植民帝国(イギリス)
スペイン継承戦争(1701年 – 1714年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/スペイン継承戦争
スペイン・ハプスブルク家の後継者問題
スペイン・ハプスブルク家最後の王カルロス2世は、後継者を望めそうになかったため、オーストリア・ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝レオポルト1世、ブルボン家のフランス王ルイ14世が候補になった。
後継者を巡る各国の策謀の中、カルロス2世はルイ王太子の次男アンジュー公フィリップを遺言で後継者に指名して1700年11月1日に崩御、ウィリアム3世もカルロスの遺言を尊重し、フィリップのスペイン王継承を容認した(ルイ14世によるフランス、スペインの同君合同を容認したわけではない)。
1701年、ルイ14世はフィリップにフランス王位継承権を保持させたまま、「フェリペ5世」を名乗らせてスペイン王に即位させた。スペイン領ネーデルランドの貿易特権をフランスの貿易会社に譲らせ、イングランド王位僭称者ジェームズ3世を支持するジャコバイトの支援も行った。
1701年9月7日、ウィリアム3世は、ハーグで、フランス・スペインの合同による勢力拡大を恐れるオーストリア、オランダと対フランス大同盟(ハーグ条約)を結び、フェリペ5世の即位に反対した。
スペイン国内では、一丸となってフェリペ5世即位を支持したわけではなかったため、『スペインの内戦』の一面を持つようになった
経過
1702年にウィリアム3世が崩御、新たに即位した義妹のアン女王のイギリス軍はオランダ軍と連合してフランドルに迫った。1703年にはフランス軍をネーデルラントへ後退させ、フランスはハプスブルク家の本拠地ウィーンを攻撃する。
ポルトガルやブランデンブルク=プロイセン・ハノーファーを始めとするドイツの諸領邦国家も対フランス大同盟(ハーグ条約)に加わったため、フランスは孤立無援に陥った。
1704年、イギリスはポルトガルと単独講和していたことから、アン女王はカール大公の要望に沿って輸送船を貸与してオーストリア軍のスペイン上陸を支援し、他方ジョージ・ルーク率いるイギリス軍がジブラルタルを占領した(ジブラルタルの占領)