琵琶法師

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琵琶法師

https://ja.wikipedia.org/wiki/琵琶法師


平安時代から見られた琵琶を街中で弾く盲目。琵琶を弾くことを職業とした盲目僧の芸人で、平安時代中期におこった

盲人の琵琶法師(盲僧琵琶)から宗教性を脱した語りものを「くずれ」という

鎌倉時代には『平家物語』を琵琶の伴奏に合わせて語る平曲が完成した。

この時代には、主として経文を唱える盲僧琵琶と、『平家物語』を語る平家琵琶(平家座頭)とに分かれた。平家座頭はその当初から廻国の芸能者であり、中世には文化人の伝手や紹介状を頼りに、各地の有力な大名の屋敷のあいだを芸を披露して回った[3]絵巻物などに登場する平家座頭は、多くの場合弟子を連れての二人旅となっている。

琵琶法師のなかには「浄瑠璃十二段草子」など説話・説経節を取り入れる者がおり、これがのちの浄瑠璃となった。室町時代には能楽と並び広く愛好され、中世日本音楽の代表的存在として並び称される。

しかし地歌浄瑠璃などの三味線音楽や箏曲の発展と共に次第に下火となり、波多野流は断絶、前田流は江戸時代中期に名古屋の荻野検校によって中興し、この流派のみがこんにちまで名古屋と仙台に伝えられている。演奏者は非常に少ない

三味線の祖型が日本に伝来したとき、これを初めて扱い現在に近い楽器に改良したのが平家琵琶の演奏家たちであった。そのため、琵琶と同じように三味線を撥で弾くようになった。ただし琵琶と三味線では撥の形状や持ち方に違いがある。

また三味線は楽器のみが伝わり楽曲は伴わなかったため、彼らにより新曲が次々に作り出されたが、その際にも平曲の音楽的要素が色々反映されている。


平曲(へいきょく)は、語りもの音楽の一ジャンルもしくは一演奏様式[1]。盲目の琵琶法師琵琶をかき鳴らしながら語った『平家物語』のメロディおよびその演奏様式で、物語琵琶[注釈 1]のひとつ。

平曲は、今日伝承されている語りもののなかでは最も古く、読み物である『平家物語』をテキストとしていることに名称の由来があり、『平家物語』の一章段「祇園精舎の鐘の声」が平曲の一曲となっている。

平家琵琶は楽琵琶から派生したもので、楽器は楽琵琶とほぼ同じつくりだが、小型の物が好まれる。撥は逆にやや大きく、先端の開きが大きい。平家物語をかたるときの伴奏に用いる。

楽琵琶、筑前琵琶、平家琵琶、盲僧琵琶、薩摩琵琶の比較

語りもの(かたりもの)は日本中世にはじまった口承文芸音楽もしくは芸能ジャンルまたは演目。ここでいう「語る」とは、を付けて歌うことであるが、内容が叙事詩的なので「歌う」と言わずに「語る」というのである

伝統的な日本音楽(邦楽)において、声楽はその大部分を占めているが[1]、日本音楽における声楽は、「歌いもの」と「語りもの」に大きく分けられる[1]

「歌いもの」は、旋律リズムなど、その音楽的要素が重視される楽曲であるのに対し、「語りもの」は詞章が何らかの物語性をもつ楽曲であり、語られる内容表現に重点が置かれる音楽である[1]


琵琶(びわ、英語: pipa, 特に日本のものは biwa)は、東アジアの有棹(リュート属)弦楽器の一つ。弓を使わず、もっぱら弦をはじいて音を出す撥弦楽器である。

琵琶は78世紀頃、中国大陸から日本に入った。正倉院の宝物として伝来当時の琵琶が遺されている。半開のもしくはイチョウの葉の形に似た(棙)で弦(絃)を弾奏するのが特徴。

時代の琵琶は現在の日本の楽琵琶とほぼ同じ形をしており、音楽理論が整備される中で、調弦法も多数定められ、様々な合奏にも用いられ、記譜法も確立し、宮廷音楽から民間音楽まで、合奏、独奏、歌唱の伴奏と広く愛好された。

五弦琵琶は奈良時代より中国大陸から伝来した。聖武天皇に献上され、その後、正倉院に収められた螺鈿紫檀五絃琵琶は、世界に残る唯一の古代の五弦琵琶である。


楽琵琶は雅楽で両絃と呼ばれるもののうちの一つ(もう一つは楽箏)で、管絃、催馬楽(さいばら)に用いる琵琶である(舞楽では通常用いられない)。標準的なものとしては日本の琵琶の中で最も大きく、奈良時代に伝えられた唐代琵琶の形をほとんどそのまま現代に伝えている。撥は逆に最も小さい。現在は合奏の中で分散和音を奏しながらリズム的に支える役目をしている。

おおらかで豊かな音色を持ち、後世の諸琵琶との大きな違いは、他の楽器との合奏に用いられること、調ごとに調弦法が変わること、「さわり」(サワリ)の機構がないこと、左手の押弦が、柱(フレット)の間で絃を押さえる張力を変化させて音程を変える奏法がないこと、また小指まで使用すること、などである。


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