部分社会の法理って、意外に新しかった
昭和28年裁判で、田中耕太郎裁判長が少数意見で熱く語っておられたので、ちょっと調べてみた。
「かつて、大日本帝国憲法下では特別権力関係論があったが、戦後の日本国憲法においては、この法理をそのまま使うことができなくなった。これについて、憲法の理念に即して修正を試みた「修正特別権力関係論」も出たが、昭和52年の富山大学事件で最高裁判所が部分社会論を採用するに至り、この語が広く用いられるようになった。」
wikipedia
昭和52年、富山大学の学生が単位もらえなかったといって、最高裁まで争った事件だっけ。今ならそんなの無理筋だろうと思える事件。
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このような、特殊な部分社会である大学における法律上の係争のすべてが、当然に裁判所の司法審査の対象になるものではなく、一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題は、右司法審査の対象から除かれるべきものであることは、・・・明らかというべきである。
大学における授業科目の単位授与(認定)行為は、一般市民法秩序と直接の関係を有するものであることを肯認するに足りる特段の事情のない限り、司法審査の対象にならない。
富山大学単位不認定事件
新憲法ができたばかりの頃、「これって、憲法違反でいけるんじゃね?」とかって、最高裁も大忙しだったろう。そもそも判例文が、短くて1ページだけで終わるの多いし・・・。