アメリカ大統領選挙人制度
アメリカの大統領選挙における選挙人制度(Electoral College)は、アメリカ合衆国憲法制定時に採用されたもので、当初からの意図や歴史的な背景には複数の重要な要素が関わっています。この制度が採用された経緯を理解するには、アメリカ独立戦争後の政治的な状況と憲法制定の過程を考えることが重要です。
1. アメリカ独立戦争と新しい政府の構築
アメリカ合衆国が独立を果たした後、13の州は連邦制の政府を形成し、政府の仕組みを定めるために1787年にフィラデルフィアで憲法制定会議(コンスティチューショナル・コンヴェンション)を開催しました。この時、アメリカはイギリスの王政に反対して独立を達成したため、中央集権的な権力を避けようとする強い意識がありました。つまり、政府の権限が過度に強くなり、再び独裁的な指導者が登場するのを防ぐために、慎重に権力を分散させることを望んでいました。
2. 選挙人制度を採用した理由
選挙人制度を採用する理由は、主に次の3つの要素に関係しています:
(1) 大衆の知識と判断力への懸念
当時のアメリカは、情報の流通が非常に限られており、通信手段や交通手段が未発達であったため、各州の住民が遠くの候補者について十分に情報を得ることが難しかったと考えられていました。また、一般の市民が国家レベルの選挙において賢明な判断を下すことができるかどうかに対して懸念がありました。選挙人は、より情報を得ていて、賢明な判断を下せると期待されていたため、選挙人が代わりに大統領を選出する制度が採用されました。
(2) 州権主義と連邦制の強調
アメリカの新しい政府は、各州の権限を強調し、中央政府の権限を制限しようとする考え方に基づいていました。選挙人制度は、各州が一定の影響力を持つことを保障し、州の代表者が大統領選挙に参加する形になっているため、州権を尊重するための方法と見なされました。これにより、特定の州が過剰に影響力を持つことを防ぎつつ、すべての州が選挙に参加する仕組みとなっています。
(3) 王政復活の防止
イギリスから独立したばかりのアメリカでは、中央集権的な指導者が権力を握ることへの警戒心が強かったです。憲法制定者たちは、大統領に対しても強い権力を与えることを避けたかったため、間接的に選出する制度を設けることで、大統領が過度に強大な権力を持つことを抑制しようとしました。また、選挙人制度は、選挙人が反対の候補者に投票する「不誠実な選挙人」になる可能性があることを前提に、大統領の権限が絶対的でないようにするための仕組みでもありました。
3. 憲法制定会議における議論
選挙人制度の採用は、憲法制定会議での議論を経て決まったものです。会議では、各州の代表が様々な案を提出し、妥協案として選挙人制度が採用されました。特に重要だったのは、次のような二つの主要な対立点です:
- 大都市州と小規模州のバランス:当初、憲法起草者たちは、議会における代表権(下院と上院の議席数)をどのように決めるかを巡って激しい議論を交わしていました。大都市州(例えばヴァージニア州)と小規模州(例えばデラウェア州)の間で勢力が拮抗していたため、選挙人制度を採用することで、小規模州が過剰に無視されないように配慮したのです。
- 議会選挙とのバランス:一部の起草者は、大統領を議会が選出すべきだと主張しましたが、それに対して、選挙人制度を通じて、議会の干渉を減らし、独立した大統領選挙を保障しようとする意見が強く支持されました。
結果的に、選挙人制度は、州ごとの代表権を反映させつつ、大統領選挙を間接的に行う方法として採用されました。このような妥協がなければ、アメリカ合衆国の憲法は成立しなかったと考えられています。
4. 最初の選挙(1788年-1789年)
アメリカ合衆国最初の大統領選挙は、1788年から1789年にかけて行われました。この選挙では、選挙人制度が実際に機能し、ジョージ・ワシントンが全会一致で大統領に選出されました。このように、最初の選挙では選挙人制度は比較的スムーズに機能しましたが、その後の選挙では、選挙人制度の実態が複雑化し、時折論争の対象となるようになりました。
5. その後の変化と現代における課題
選挙人制度は、当初の意図通り、各州に一定の影響力を与えつつ、中央集権的な権力を抑制するための仕組みでした。しかし、アメリカが成長し、選挙戦が全国規模で行われるようになると、選挙人制度の問題点が浮き彫りになり、例えば「全国得票数」と「選挙人票」の不一致などが問題視されるようになりました。
現代では、選挙人制度を改革すべきかどうかについて議論が続いており、直接選挙制を採用するべきだという意見もありますが、制度を変更するためには憲法改正が必要であり、その過程は非常に難しいものです。
結論
アメリカの選挙人制度は、18世紀末の政治的な妥協と当時の社会状況を反映した産物です。大衆の判断力に対する懸念や、中央集権的な権力の抑制、州の権限の尊重などが背景にありました。その後の歴史の中で、この制度は議論を呼ぶことが多く、現在に至るまで様々な改革案が提案されていますが、依然として制度自体は継続しています。