メソポタミア文明

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メソポタミア文明

古代メソポタミア文明の初期の中心となったのは民族系統が不明のシュメール人である。シュメールの後も、アッカドバビロニアアッシリアなどに代表される国々が興亡を繰り返した。やがて周辺勢力の伸張とともに独立勢力としてのメソポタミアの地位は低下していき、紀元前4世紀アレクサンドロス3世(大王)の遠征によってヘレニズムの世界の一部となった。


アッシリアとバビロニア

アッシリアバビロニアは、古代メソポタミアに存在した二つの強力な文明であり、互いに密接な関係を持ちながらも、しばしば敵対する関係でもありました。この二つの国は、メソポタミア(現在のイラクを中心とする地域)の覇権を巡って数世紀にわたり対立し、時にバビロニアがアッシリアの支配下に置かれたこともあれば、バビロニアがアッシリアに対抗して独立や反乱を試みた時期もありました。

最終的には、アッシリアが衰退する中でバビロニアが復興し、メソポタミア全域における支配権を確立しました。


アッシリアとバビロニアの位置と背景

  • アッシリアは、メソポタミア北部に位置しており、ティグリス川上流域にあるアッシュール(アッシリアの神と都市の名前)を中心に発展しました。
  • バビロニアは、メソポタミア南部のティグリス川とユーフラテス川の間に広がる地域で、バビロンを中心に栄えました。

両地域は、言語や文化において共通点が多く、シュメールやアッカドの文明の影響を受けていましたが、政治的には時に友好関係を結びながらも、しばしば対立していました。

初期の関係

最初期のアッシリアとバビロニアの関係は、主に文化的な交流が中心でした。バビロニアの学問や宗教はアッシリアにも大きな影響を与えました。しかし、バビロンが独立して繁栄し始めた紀元前18世紀、ハンムラビ王の時代には、バビロニアはメソポタミア南部で強力な王国となり、アッシリアもその影響を受けるようになります。

アッシリアの興隆とバビロニアへの支配

アッシリア帝国は、紀元前14世紀頃から強力な軍事国家として勢力を拡大し、メソポタミア全域にその影響力を及ぼすようになりました。アッシリアが南に進出するにつれ、バビロニアとの対立が激化します。

  • 紀元前13世紀~紀元前12世紀: この時期、アッシリアはバビロニアへの遠征を繰り返し、バビロニアの政治に干渉し、時には直接支配することもありました。
  • ティグラト・ピレセル3世(紀元前745年 – 727年): アッシリアのティグラト・ピレセル3世は、バビロニアの反乱を鎮圧し、バビロニアの王を自ら兼任する形でその地域を支配しました。これは、アッシリアがバビロニアを形式的にではなく、実質的に直接統治しようとした試みの一例です。

バビロニアの反乱とアッシリアの支配

アッシリアの支配下にあったバビロニアは、たびたび独立を求めて反乱を起こしました。特に、バビロニアの住民たちは自らの文化的、宗教的伝統に誇りを持っており、アッシリアによる直接統治に反感を抱いていました。

  • センナケリブ(紀元前705年 – 681年): アッシリアのセンナケリブ王は、バビロニアの反乱に厳しく対応しました。彼はバビロンを徹底的に破壊し、バビロニアの象徴的な都市を従属させようとしました。しかし、この破壊行為は、後に彼の息子エサルハドンによって修復され、エサルハドンはバビロニアとの和解を図ります。
  • エサルハドン(紀元前681年 – 669年): センナケリブの息子であるエサルハドンは、バビロニアの復興に力を入れ、バビロンの神殿を再建するなどして、バビロニアの住民との和解を試みました。彼はバビロニアの王を自ら兼任しつつ、現地の伝統や信仰を尊重しました。

アッシリアの衰退とバビロニアの独立

紀元前7世紀後半になると、アッシリア帝国は内外の混乱により急速に衰退しました。この時期、バビロニアはアッシリアの支配から独立する機会を得ます。

  • ナボポラッサル(紀元前626年 – 605年): ナボポラッサルは、アッシリアの支配からバビロニアを解放し、新バビロニア帝国を樹立しました。彼はメディア王国と同盟を結び、アッシリアに対抗しました。
  • 紀元前612年、ニネヴェの陥落: バビロニアとメディアの連合軍はアッシリアの首都ニネヴェを陥落させ、アッシリア帝国を滅ぼしました。これにより、バビロニアはメソポタミアにおける主要な勢力となりました。

新バビロニア帝国の時代

アッシリアの崩壊後、新バビロニア帝国(カルデア朝)は紀元前7世紀末から紀元前6世紀にかけて、メソポタミア全域を支配する強力な帝国として台頭しました。

  • ネブカドネザル2世(紀元前605年 – 562年): 新バビロニア帝国の最盛期を築いたネブカドネザル2世は、バビロンを中心に強力な帝国を構築し、エルサレムを含む周辺地域を征服しました。この時期、アッシリアはすでに歴史の舞台から姿を消しており、バビロニアがその後を継ぐ形でメソポタミアの覇権を握っていました。

結論

アッシリアとバビロニアの関係は、文化的な影響や交流を持ちながらも、長期間にわたる敵対と支配を繰り返す複雑なものでした。アッシリアはバビロニアに対してしばしば軍事的に優位に立ち、その支配を試みましたが、バビロニアは度重なる反乱を通じて独立を保とうとしました。最終的には、アッシリアが衰退する中でバビロニアが復興し、メソポタミア全域における支配権を確立しました。これらの出来事は、古代中東の歴史における重要な転換点となり、後のペルシア帝国やギリシャ、ローマへと続く文明の発展に影響を与えました。

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