ドイツとフランスのバロック音楽
バロック音楽でも、ドイツのバッハとフランスのクープランなどでは当時の作風や人気が異なっていたようなのでchatGPTに聞いてみた。
現代の知名度で言えば、「バッハ」>>>>「クープラン」なのだが・・・・・
バロック時代の音楽家であるドイツのヨハン・ゼバスティアン・バッハと、フランスのフランソワ・クープランやジャン=フィリップ・ラモーの音楽には、それぞれの文化的背景と作曲技法に基づく興味深い違いがあります。以下にその違いを簡潔に説明します。
1. 音楽スタイルの違い
- バッハ (J.S. Bach)
- ドイツ音楽の伝統に深く根ざしており、対位法や複雑な構造を特徴とします。特にフーガやカノンといった対位法的な作曲技法を駆使し、宗教的なモチーフや、感情の深みを追求した音楽を多く残しています。作品はオルガン、チェンバロ、管弦楽、宗教音楽(カンタータ、ミサ曲など)が中心で、緻密な和声進行や壮大な構造が特徴です。
- クープラン (François Couperin)
- フランス宮廷文化に影響されており、優雅で洗練された音楽が特徴です。チェンバロ曲や室内楽を中心に、装飾音や洗練されたリズムが重視され、感情表現は内面的で繊細です。クープランは「フランス風」と「イタリア風」を融合させる試みも行い、その結果、装飾豊かで多様な様式を持つ音楽を作り出しました。
- ラモー (Jean-Philippe Rameau)
- クープランに比べて、ラモーは音楽理論家としても有名であり、和声理論の発展に貢献しました。ラモーの音楽は、和声の機能や調性の明確さを重視し、力強く劇的な表現を追求しています。特にオペラや舞台音楽において、感情のダイナミズムを描写し、緻密な音楽構造を作り上げました。
2. 形式やジャンルの違い
- バッハは主に宗教音楽や器楽作品(フーガ、トッカータ、協奏曲など)に力を入れました。教会のための音楽が多く、プロテスタントの影響が強く現れています。
- クープランは宮廷での演奏を意識した、チェンバロ曲や舞踏音楽(クーラント、サラバンドなどの舞曲)が多く、より軽やかでリズミカルな要素が強調されています。
- ラモーは、特にオペラやバレエ音楽で大きな功績を残し、舞台芸術に合わせた劇的な音楽を作りました。彼の音楽は、豊かな和声進行と劇的な表現が特徴です。
3. 文化的背景の違い
- バッハはドイツのルター派教会音楽の伝統の中で活動しており、その音楽は宗教的・精神的な深みが強調されています。
- クープランやラモーは、フランスの宮廷文化に深く影響されており、音楽は優雅さや礼儀作法を反映したものが多く、バッハに比べると形式的で軽やかな面があります。
これらの違いにより、バッハの音楽は深い宗教的感情と複雑な対位法が際立ち、クープランやラモーの音楽はフランス的な優雅さと繊細な装飾音、明確な和声感を特徴とするものとなっています。
当時の音楽家としての評判
バロック時代において、ヨハン・ゼバスティアン・バッハとフランソワ・クープラン、ジャン=フィリップ・ラモーの人気には大きな違いがありました。
1. バッハ (J.S. Bach)
- バッハの生前の評価
- バッハは、同時代の作曲家たちから「オルガン奏者」として非常に高く評価されていましたが、作曲家としてはそれほど有名ではありませんでした。バッハの音楽は対位法が複雑で、当時の流行から外れた部分もあり、そのため彼の作曲スタイルは、当時のより新しい流れである「ギャラント様式」(より軽快でシンプルな様式)に比べると時代遅れと見なされることもありました。
- 生前に有名であったのは、バッハではなく、息子のカール・フィリップ・エマヌエル・バッハや他の同時代の作曲家たちでした。彼の作品が広く再評価されたのは、18世紀後半から19世紀にかけての「バッハ復興」と呼ばれる運動の時期です。特にフェリックス・メンデルスゾーンによる『マタイ受難曲』の復活公演(1829年)がきっかけとなり、バッハの名声は後世に広がりました。
2. クープラン (François Couperin)
- クープランの生前の評価
- クープランは生前、フランス王宮で重要な役割を果たし、ルイ14世をはじめとする王室や貴族たちから高い評価を受けていました。彼のチェンバロ曲や室内楽作品は宮廷で大変人気があり、彼の音楽は当時のフランスで非常に重要な地位を占めていました。
- クープランは「音楽の詩人」としてフランスの音楽文化の象徴とされ、優雅で洗練された様式は当時の貴族社会で愛されていました。彼の影響はフランス国内にとどまらず、ヨーロッパ全体にも広がりました。
3. ラモー (Jean-Philippe Rameau)
- ラモーの生前の評価
- ラモーもフランス国内で非常に人気が高く、特にオペラ作曲家としての地位は非常に高かったです。彼のオペラ作品は劇的で、和声理論を駆使した革新的な音楽が特徴であり、特に彼のオペラ『イポリートとアリシー』や『カストールとポリュックス』は当時のフランスで大成功を収めました。
- しかし、彼の音楽は時には保守的な聴衆から批判されることもあり、特にジャン=ジャック・ルソーなど、よりシンプルな音楽を好む思想家からの反発も受けました。それでもラモーは、フランス音楽における最も重要な作曲家の一人として広く認識されていました。
まとめ
- 当時の人気に関しては、クープランやラモーはフランス国内で非常に高い人気を誇っており、特にクープランは宮廷で絶大な支持を得ていました。ラモーもオペラ作曲家として当時のフランスで非常に成功していました。
- 一方、バッハはその技術的な巧みさから音楽家としては高く評価されていたものの、一般的な人気という点では、彼の音楽は当時のドイツ国内でもそれほど広く知られていたわけではありませんでした。彼の音楽の真価が広く認められたのは、後の時代になってからです。
したがって、生前の人気としては、フランスのクープランやラモーの方がより広く認知されていたといえます。
ギャラント様式
ギャラント様式(Galant Style)は、18世紀の音楽で広く用いられた様式で、バロック音楽の複雑さや対位法的な構造に対する反動として生まれました。この様式は、シンプルさ、優雅さ、明瞭さを重視し、より軽やかで洗練された音楽を目指しました。
特徴
- メロディの明瞭さ:
- ギャラント様式では、単純で魅力的なメロディが中心となります。複雑な対位法を避け、和声の流れがスムーズで、聴き手に親しみやすい音楽を作ることを目的としました。
- 簡素な伴奏:
- バロック音楽に比べ、伴奏はより簡素であり、メロディがより際立つように工夫されています。バスラインも単純化され、しばしばアルベルティ・バス(繰り返しのある分散和音)が使用されました。
- 形式の整然さ:
- ギャラント様式の音楽は、ソナタ形式やロンド形式など、はっきりとした形式を持っていることが多く、構造がわかりやすいのが特徴です。
- 装飾の抑制:
- バロック音楽に比べ、装飾音や即興的な要素が控えめで、全体的に洗練された雰囲気を追求しています。
代表的な作曲家
- カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(J.S.バッハの息子)やヨハン・クリスティアン・バッハは、ギャラント様式を代表する作曲家として知られています。彼らの音楽は、ロココ文化と結びつき、後の古典派音楽(特にハイドンやモーツァルト)の基礎を築きました。
- 他にも、フランソワ・クープランやジャン=フィリップ・ラモーなどのフランスの作曲家も、この様式に影響を与えました。
歴史的背景
ギャラント様式は、バロック後期(18世紀前半)から古典派音楽(18世紀後半)への移行期にあたり、バロックの厳密で複雑なスタイルに対する反動として現れました。この様式は、貴族や裕福な市民階級のサロン文化と結びついており、音楽が軽やかで娯楽的なものとして求められた時代背景が影響しています。
結論
ギャラント様式は、音楽がよりシンプルで優雅になり、聴きやすく親しみやすいものへと変化していった時代の重要な特徴を表しています。この様式は、後の古典派音楽の発展においても重要な影響を与えました。
Galantは、フランス語で「勇ましい」「華麗な」という意味である。
ギャラント様式の音楽とは一般的に受け入れられやすい、つまり当時の「ポピュラー音楽」と言ってもいいのではないだろうか。美術界で言えばその世俗的で優雅なところが「ロココ主義」に通じるものがある。確かに、バッハの音楽は、「シンプルさ、優雅さ、明瞭さ」とは程遠いものがある。
グレン・グールドの評価
グレン・グールドは晩年のモーツァルト(1756-1791)を評価(批判)する場合、「形式にとらわれ過ぎている」と言っていた。モーツァルトはバッハに比べると明らかにシンプルで、優雅で、明瞭なので、そこが万人受けして今でも人気のある所以であろう。
ハイドンについては「ロココ主義に対する偏見の例外」とも言っている。つまりグレン・グールドは「ギャラント様式」に対する偏見があったということである。それゆえフランスの人気作曲家クープランには全く興味がなさそうで、録音した音源は聞いたことないし、クープランの評価や解釈については聞いたことがない。
ドイツのギャラント様式
バッハの生きた時代に、ドイツに世俗的なギャラント様式の音楽家がいなかったわけではなさそうだ。
ドイツにおけるギャラント様式の作曲家は、18世紀中頃から後半にかけて活躍し、バロック音楽から古典派音楽への移行を担った重要な人物たちです。彼らの作品は、シンプルで親しみやすいメロディと明快な形式を特徴とし、洗練された優雅なスタイルを持っていました。
以下に、当時のドイツの代表的なギャラント様式の作曲家を紹介します。
1. カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(Carl Philipp Emanuel Bach, 1714-1788)
- ヨハン・ゼバスティアン・バッハの息子であり、ギャラント様式の主要な代表者です。彼は特に鍵盤楽器のための作品で有名で、チェンバロやクラヴィコード、初期のピアノのためのソナタや即興的なファンタジアを数多く作曲しました。
- 彼の音楽はギャラント様式と感情表現の豊かさ(「エンピンドサムkeit」)を融合させ、後の古典派に大きな影響を与えました。特に、モーツァルトやベートーヴェンに影響を与えた人物として知られています。
2. ヨハン・クリスティアン・バッハ(Johann Christian Bach, 1735-1782)
- カール・フィリップ・エマヌエルの弟で、ロンドンで活躍したため「ロンドン・バッハ」とも呼ばれます。彼の音楽は、ギャラント様式の典型であり、特にオペラや交響曲、室内楽で優雅さとシンプルさを追求しました。
- 彼の作品は明るくメロディックで、モーツァルトにも大きな影響を与えました。彼とモーツァルトが知り合いだったこともよく知られています。
3. ヨハン・シュターミッツ(Johann Stamitz, 1717-1757)
- マンハイム楽派の中心的存在であり、ギャラント様式の音楽における交響曲の発展に大きく寄与しました。シュターミッツの作品は、メロディの流麗さや形式の明瞭さが特徴で、マンハイム楽派の革新性(「マンハイム・クレシェンド」など)とともに、交響曲の進化を促しました。
- 彼の音楽は、後の古典派の交響曲形式に大きな影響を与え、ハイドンやモーツァルトの交響曲にもその影響が見られます。
4. フランツ・ベンダ(Franz Benda, 1709-1786)
- プロイセンの宮廷で活躍したヴァイオリニストおよび作曲家で、フリードリヒ大王の宮廷楽団で演奏していました。彼はヴァイオリンの名手であり、ヴァイオリンのための作品やシンプルで優雅な器楽曲を数多く作曲しました。
- ベンダの音楽は、ギャラント様式における旋律の美しさと装飾的な演奏技術を反映しています。
5. カール・ハインリヒ・グラウン(Carl Heinrich Graun, 1704-1759)
- フリードリヒ大王の宮廷作曲家として活動し、特にオペラや宗教音楽で知られています。グラウンの音楽は、バロック音楽の影響を残しつつも、ギャラント様式のシンプルで洗練されたスタイルを取り入れていました。
6. ヨハン・ゴットリープ・グラウン(Johann Gottlieb Graun, 1703-1771)
- カール・ハインリヒ・グラウンの兄で、器楽曲や協奏曲を多く作曲しました。彼もまた、ギャラント様式を取り入れた作曲家の一人で、特にヴァイオリン協奏曲が有名です。
まとめ
18世紀のドイツでは、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハやヨハン・クリスティアン・バッハを中心に、ギャラント様式が広まりました。彼らの作品は、バロックの対位法的な複雑さから離れ、より軽やかで親しみやすい音楽を追求しました。また、マンハイム楽派のシュターミッツなども、ギャラント様式の発展に大きな役割を果たし、後の古典派音楽の基礎を築いたといえます。
こうしてみると、大バッハ(1685年- 1750年)よりもやや後の時代でハイドンやベートヴェンなど、古典派への移行期に入る時代に生きた音楽家といえるようだ。ただ、chatGPTが挙げている作曲家は一般的に馴染みはない。
つまり、当時のドイツのギャラント様式の音楽家はフランスに比べてあまり評価は高くなかったのかもしれない。そう考えると古典派移行期の音楽家、モーツァルト( 1756-1791)はドイツ、オーストリアにおいて先進的な音楽家といえるのではないだろうか。
一方で、長寿のハイドン(1732 – 1809年)は古典派に分類されており、明らかにギャラント様式以降の音楽家であるが、グールドに言わせると「ロココ主義の例外」なんだそうだ。ハイドンにはバッハを代表とするドイツ・バロック期の「複雑で宗教的・精神的な難解でわかりにくい」作風が残っていたのだろうか。
ドイツ音楽界におけるハイドンの存在が、フランスの音楽界とは異なり後の「ウィーン古典派」を生み出す原動力になったのかもしれない。
さらに元を辿れば、古典派の時代にドイツがフランスに比べて優勢なのは、「複雑で宗教的・精神的な難解でわかりにくい」さらに「古くさい」とまで言われて人気のなかった大バッハがいたからこそではなかろうか。