ゴルトベルク変奏曲
ゴルトベルク変奏曲(Goldberg Variations)は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach)が1741年に楽譜が出版された鍵盤楽器のための変奏曲集です。正式なタイトルは「クラヴィーア練習曲集第4部 〜 アリアとその変奏曲」です。
ゴルトベルク変奏曲の名前の由来:
神聖ローマ帝国ドレスデン宮廷のカール・フォン・カイザーリンク伯爵(Count Kaiserling)が不眠症に悩まされ、夜の眠れない時間に聴くための音楽を求めて、バッハに作曲を依頼したと言われています。ゴルトベルクというのは、伯爵に仕えていた鍵盤奏者のヨハン・ゴットリープ・ゴルトベルク(Johann Gottlieb Goldberg)の名前で、彼がこの変奏曲を演奏したとされています。(ヨハン・ニコラウス・フォルケル著『バッハの生涯・芸術及び芸術作品について』)ただし、貴族からの委嘱作品であれば「献呈の辞」を付けるのが習慣ですが、正式に出版された楽譜にその形跡がなく、また、クラヴィーア練習曲集はシリーズで出版された第3部までバッハが自費で出版しており、この第4部もバッハの自主的な構想とも言われています。
演奏と評価:
ゴルトベルク変奏曲は、演奏家にとっても鑑賞者にとっても高い技術と集中力が要求される作品です。ピアノやチェンバロなど様々な楽器で演奏されてきましたが、特にピアニストのグレン・グールド(Glenn Gould)が録音した演奏は非常に有名で、彼の1955年と1981年の録音は今なお多くの人々に愛されています。
ゴルトベルク変奏曲の特徴:
- 全体構成: 主題となる「アリア」と、30の変奏から成り立っています。最後に再び「アリア」が繰り返され、全体が締めくくられます。
- カノン形式: 毎3つの変奏ごとにカノン(異なる声部が同じ旋律を時間差で追いかける形式)が現れ、その進行が対位法的な妙技を見せます。
- 技巧的な内容: 非常に高度な技術を要求される楽曲で、バロック時代の鍵盤楽器の表現力を最大限に活用した作品となっています。
アリアはイタリア語で元々は「空気」という意味(伊: Aria、 独: Arie〈アーリエ〉、仏: Air〈エール〉、英: Air〈エア〉 )で、音楽的にはオペラの中で、長いソロを歌うものと思っていた。だが、バッハは「G線上のアリア」のように鍵盤楽器での演奏も「アリア」と言っていたようだ。ドイツ人ならではなのか・・・バッハは何をもってして「アリア」と呼んでいたのだろうか?
確かに「アリア」という言葉は本来、オペラやオラトリオの中で独立した旋律的な歌曲を指しますが、バッハのような作曲家は「アリア」という言葉を楽器音楽にも使用しています。その理由は、バロック音楽における「アリア」の概念が広がり、必ずしも歌に限られたものではなかったからです。
バッハに代表されるバロック音楽では、「アリア」は必ずしも歌詞がある歌曲を指すだけではなく、旋律の美しさや表現力を持った楽曲の一部、または独立した楽章を指すこともありました。バッハはしばしば、器楽曲の中でもそのような優美で抒情的な部分を「アリア」と呼びました。たとえば、バッハの《ゴルトベルク変奏曲》の冒頭と最後の曲は「アリア」と名付けられていますが、これは声楽ではなく鍵盤楽器のためのものです。
そのため、バッハは「アリア」という用語を、歌の形式だけでなく、楽器の旋律的で感情的な表現を含む幅広い意味で使っていたと言えます。このような柔軟な使い方は、バロック音楽の特徴であり、形式に対する厳密な定義よりも音楽的な表現力を重視する姿勢を反映しています。
確かに、バッハの「インヴェンション」の前段には、「カンタービレ」つまり「歌うように」というバッハの指示があります。つまり、ルネサンス音楽までは、楽器主に鍵盤楽器は歌の「伴奏」というイメージが強い。バロック時代にはチェンバロからクラビコードというように鍵盤楽器によって音に強さや長さを変えることができるようになって、歌曲のように表現力が高まってきたのかもしれない。
ではいつ頃から、歌曲だけではなく器楽曲においても「アリア」という言葉が使われるようになったのか?
「アリア(Aria)」という音楽用語は、主に声楽に関連していますが、器楽曲の中でも同様の構造や表現を用いることがあります。アリアの形式はバロック時代に確立され、特にオペラやオラトリオで重要な役割を果たしました。
器楽曲に「アリア」という表現を最初に使用した作曲家については、バロック時代の作曲家が関与している可能性が高いです。代表的なバロック期の作曲家の一人であるヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685年 – 1750年)は、カンタータやその他の声楽作品の中で「アリア」を頻繁に使用しましたが、彼の器楽作品、特にチェロ組曲やゴルトベルク変奏曲にも「アリア」が含まれています。これにより、バッハが器楽曲におけるアリア形式の広がりに大きく貢献したと言えます。
しかし、厳密には「アリア」という用語が器楽曲に最初に使われた瞬間を特定するのは困難であり、バロック期の他の作曲家、例えばゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルやアルカンジェロ・コレッリなども同様の形式を使用していました。
要するに、器楽曲でアリアという表現を用いた最も有名な作曲家としては、ヨハン・ゼバスティアン・バッハが特に重要です。
ルネサンスからバロックへの移行期に重要な役割を果たしたイタリアのモンテヴェルディはどうなんだろうか
クラウディオ・モンテヴェルディ(1567年 – 1643年)は、初期バロック時代の重要な作曲家で、特にオペラや声楽作品での革新によって知られています。彼の作品には、現代でいう「アリア」に相当する部分がありますが、当時の彼の時代には「アリア」という言葉が今のような意味で確立されていたわけではありません。
モンテヴェルディは、レチタティーヴォ(語るような歌唱)とアリアの対比を進化させた作曲家であり、彼のオペラ作品(例えば『オルフェオ』や『ポッペアの戴冠』)には、後の時代に「アリア」とされるような旋律的で表現豊かな部分が含まれています。しかし、モンテヴェルディの時代では「アリア」という言葉は、単に歌の部分を指す一般的な言葉として使用されており、後に確立された形式的な意味での「アリア」とは少し異なります。
クラウディオ・モンテヴェルディの作品において、「アリア」という言葉は主に声楽曲で使用されています。彼はオペラやマドリガルで知られており、特に歌唱部分に「アリア」と呼ばれる楽章が見られることがあります。しかし、モンテヴェルディの器楽曲では、**「アリア」**という言葉がタイトルや形式として使われることはあまり一般的ではありません。
モンテヴェルディの器楽曲は主に合奏曲やリチェルカーレ、トッカータといった形式で書かれており、それらは声楽曲とは異なる構造を持っています。彼の器楽作品は、当時の音楽の進化に大きく貢献したものの、後のバロック時代に確立された「アリア」という特定の形式を含むことは少ないです。
では器楽曲で「アリア」という表現を使った作曲家は、バッハもしくはドイツ人だけだったのだろうか?
バッハ以外にも、楽器演奏の楽曲や楽章を「アリア」と呼んでいる作曲家は存在します。特にバロック時代やそれに続く時代の作曲家たちは、アリアという言葉を声楽作品に限定せず、器楽曲にも適用することがありました。いくつかの例を挙げると次の通りです。
1. ヘンデル (Georg Friedrich Handel)
ヘンデルもバロック時代を代表する作曲家であり、彼の組曲や楽器作品の中にも「アリア」と題された楽章が見られます。例えば、《水上の音楽》や《王宮の花火の音楽》といった器楽作品には、「アリア」というタイトルが含まれる楽章があります。これらは、声楽作品ではなく、器楽のために書かれた優美な旋律的楽章です。
2. テレマン (Georg Philipp Telemann)
テレマンもバロック時代の多作な作曲家の一人で、彼の作品の中にも「アリア」と名付けられた楽章があります。例えば、彼のいくつかの管弦楽組曲やソナタでは、「アリア」として記載された部分があり、これは器楽で演奏される美しい旋律的なセクションを意味します。
3. クープラン (François Couperin)
フランスの作曲家クープランも、鍵盤楽器や室内楽の曲の中で「アリア」を使っています。彼の作品では「アリア」という楽章が含まれることがあり、特に鍵盤楽器の作品でこの用語が使用されています。
4. ルッリ (Jean-Baptiste Lully)
フランス・バロック音楽の代表的作曲家ルッリも、「アリア」という言葉を声楽に限らず、器楽曲にも使用していました。彼の作品では、アリアという楽章が優雅なメロディを持つ部分として登場します。
5. モーツァルト (Wolfgang Amadeus Mozart)
モーツァルトの作品の中にも、器楽のアリアに近い形式のものがあります。彼のピアノソナタや交響曲などでは、アリア的な旋律美を持つ部分がありますが、タイトルとしては使われていないこともあります。
バロック時代の音楽では、形式に対する考え方が現在よりも柔軟であり、「アリア」という用語も、声楽だけに限らず、優雅で旋律的な楽章全般を指すために使われることが多かったのです。この伝統は後の古典派やロマン派にも引き継がれ、アリア的な器楽作品や楽章が作曲されています。
こうしてみると、ドイツ人に限られた話ではないようだ。ただ、ドイツ人でありバロック以降の古典派といわれるモーツァルトが「アリア」という言葉を使っていないのは興味深い。おそらく古典派、ロマン派に移行するに従って、いわゆる旋律美は音楽表現として「当然のこと」もしくは「楽譜から解釈すべきこと」となっていったのではなかろうか。それで敢えて「アリア」と表現する必要はなくなり、その言葉自体が廃れていってしまったのかもしれない。
ゴルトベルク変奏曲の通奏低音
最初の八章節のト長調の移動ドの階名(音名ではない!)では、ドーシーラーソーミーファーソード、になっていて「うん?」と思うのは私だけだろうか。
ポピュラー音楽であれば、コード進行のベース音(通奏低音)は「ドーシーラーソー」ときたら、「ファーミーファーソー」といったドミナントで終わる「半終止」にしたいところ(いわゆるカノン進行)。
4章節目までのベース(通奏低音)は二度で進行していたところを、5章節目は「ファ」ではなく、一気に「ミ」に三度落とすところに少々驚き?を覚える。おそらく我々現代人は、パッヘルベルのカノンに慣れ親しんみ、ポピュラー音楽でいわゆるカノン進行を用いた多くの名曲が生まれためなのではなかろうか。
思い込みではなく、きちんと楽曲分析(アナリーゼ)の勉強をしたみたいところです。