西洋音楽の歴史〜作曲家

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西洋音楽の歴史〜作曲家

ルネサンス音楽

ギヨーム・デュファイ(Guillaume du Fay、1397年8月5日 – 1474年11月27日

ジョスカン・デ・プレJosquin Des Prez; Josquin des Prés, Josquin des Pres, Josquin Desprezとも綴る。 1450年/1455年? – 1521年8月27日 )

ジョヴァンニ・ピエルルイージ・ダ・パレストリーナ(伊:Giovanni Pierluigi da Palestrina, 1525年? – 1594年2月2日

パレストリーナ出身のジョヴァンニ・ピエルルイージ」という意味である。

カトリックの宗教曲を多く残し「教会音楽の父」ともいわれる。ギヨーム・デュファイジョスカン・デ・プレという二人の作曲家の影響力に帰すところが多い。オルガン奏者、出版した「ミサ曲集」は、同時代のイタリアで宗教音楽を作曲した作曲家の出身がネーデルラント、フランドル、フランスかイベリア半島で占められていた中で、初めてのイタリア半島出身者が出版した。1550年、ジュリア聖歌隊の楽長。裕福な毛皮商の未亡人と再婚した。そのため経済的な独立を得ることができ(聖歌隊の楽長としての給料は不十分なものだった)、亡くなるまで生活に困ることなく作曲し続けることができた。パレストリーナは、105曲のミサ曲、68曲のオッフェルトリウム、少なくとも140曲以上のマドリガル、300曲以上のモテットなど、何百曲もの作品を残した。ミサ曲 Missa sine nomineはとりわけ、大バッハを魅了した。バッハはロ短調ミサ曲の作曲中に、この曲を研究して実演も行った。パレストリーナは、同時代の他の多くの作曲家がそうであったように、グレゴリオ聖歌の旋律線(トゥヌール、例えば「定旋律」)を、多くの音楽作品の基礎に用いていた。パレストリーナは不協和音がなるべく弱拍に現れるように設計し、ポリフォニーにおける協和音の類型を増加させることに成功している。この工夫により音楽の流れが良くなり、18世紀の作曲家で理論家ヨハン・ヨーゼフ・フックス1725年に『パルナッソス山への階梯』と題した教科書を著し、パレストリーナの作曲技法を理論化した。フックスはこの教科書で、生徒が厳格な規則に則りながら、より多くの声部が組み合わさる課題に段階的に取り組める一連の階梯を課した。21世紀の大学でルネッサンス期の対位法を講義する際には、「パレストリーナ様式」が基本として扱われている。

バロック音楽

ラウディオ・ジョヴァンニ・アントニオ・モンテヴェルディ(伊:Claudio Giovanni Antonio Monteverdi,  1567年5月15日洗礼 – 1643年11月29日

フランソワ・クープラン(仏:François Couperin1668年11月10日 パリ – 1733年9月11日 )

アントニオ・ルーチョ・ヴィヴァルディ(伊:Antonio Lucio Vivaldi, 1678年3月4日 – 1741年7月28日

ジャン=フィリップ・ラモー(仏:Jean-Philippe Rameau, 1683年9月25日 – 1764年9月12日

18世紀のフランスで、作曲、評論、オルガニストなどとして多彩に活躍したジャン=フィリップ・ラモー(1683-1764)。フランス各地の教会でオルガニストを歴任した後、評論活動を経て、1730年代からは私設のオーケストラで自らの作品を指揮。宮廷のためにオペラやバレエなどの舞台作品を数多く生み出す一方、鍵盤や室内楽などの組曲にも重要な作品を残した。ラモーの作風は、Jean-Baptiste Lully やクープランといったフランス作曲家の音楽伝統にのっとりながら、イタリアの和声法なども巧みに取り込んだ、斬新な色彩感覚が魅力。

18世紀フランスを代表する作曲家の一人であるジャン=フィリップ・ラモーのキャリアは、少々変わっていた。1683年にディジョンで生まれたラモーの歩みは非常にゆっくりしたもので、音楽理論家や鍵盤音楽の作曲家として名声を得たのは40代前半になってからだった。劇場に進出したのは50歳の時。ラモーはそれ以降、オペラからバレエまで、およそ30の極めて優れた舞台作品を制作し、1749年ごろのパリのオペラ座では、彼の作品が支配的な存在となった。また、ラモーの作品は衝撃的なまでに独創性に富むものであった一方で振れ幅も非常に大きく、オペラ=バレ『Platée』(1745年)では自分が男性を引き付けてやまないと思っているカエルの妖精をコミカルに描き、最後のオペラ『Les Boréades』(1763年)では、身分が違う相手との恋に苦しむディープで複雑なキャラクターを鮮やかに表現した。これらの作品は、ラモーがバロック時代における最も偉大なオーケストレーターの一人であったことを今に伝えてくれる。唯一の室内楽曲『Pièces de Clavecin en Concerts』(1741年)では、ハープシコードに通奏低音としてよりも、アンサンブルの中心的な役割を果たさせるという実験的な試みを行った。またハープシコードのためのソロ作品では、著名な人物のキャラクターを描いたり、「Les Tourbillons(つむじ風)」のようにエキゾチックなイメージを喚起したりするなど、表現力の多彩さを披露している。そして、多くの功績を遺した遅咲きの作曲家は、1764年に80歳でこの世を去った。

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ: Johann Sebastian Bach, 1685年3月21日– 1750年7月28日

フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(Franz Joseph Haydn, 1732年3月31日 – 1809年5月31日)

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(独: Wolfgang Amadeus Mozart、1756年1月27日- 1791年12月5日)

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン: Ludwig van Beethoven、、1770年12月16日頃 – 1827年3月26日

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