「お前は一体何を言っているんだ!?」の世界
通奏低音で思い出したのだが、そういえば、グレン・グールドが「ゴルトベルク変奏曲」の晩年の再録音の中でこう言っていた。
「再録音なんて滅多にやらない。過去20数年で2、3曲しかないと思う。1955年の録音の数年後にステレオが実用化されて、モノラルが時代遅れになった。そしてその後のドルビーの発明で最初の録音は音質的に古びたものになってしまった。ただそれだけでは再録音をする理由にはならない。きっかけは珍しく自分のレコードを聞き直したこと、結構よかった。しかし30の変奏曲のそれぞれが自分勝手に振る舞っていて、元になっているバスの動きについてバラバラにコメントしているようだった。」
天才グールドの感性の問題なので素人にその本意を知る由も無いが、「バスの動き」=「通奏低音の動き」つまりコードの変化に対して、自分の弾いている30の変奏曲を通して一貫していない?とでも言っているのだろうか(´∀`)
しかも、さらにこう続けている
「バッハの場合、連続性は旋律にではなく和声にあるけど」
グールドは「通奏低音」つまり「バスの動き」というものに重点をおいていたので、バッハの音楽は「和声の連続性」と解釈することができるということなのだろう。
また、音楽的な「パルス」というのは、
音楽的なパルスとは、音楽の中で繰り返される一定のリズムやビートのことを指します。これは、音楽を聴くときに感じられる基本的な「拍」の感覚であり、音楽が進行する基盤となるものです。たとえば、ポップソングやクラシック音楽など、多くの音楽ジャンルでパルスは一定のテンポで繰り返され、それが音楽の流れを形成します。
パルスは、しばしばメトロノームのように一定の間隔でビートを刻むことによって感じられますが、複雑なリズムの中でもその基本的なビートを感じ取ることができます。音楽的なパルスを感じることは、音楽のリズムを理解し、リズムに合わせて体を動かしたり、演奏したりする際に非常に重要です。
ゴルトベルク変奏曲の30曲を通して、グールドには「リズム」や「パルス」の連続性というものを表現しようとしている・・・・・
さらに「数学的に対応させて」というのが、極めて謎である。
ここまでくると「天才」の言うことなんで、凡人の私には「お前はいったいないにを言っているのだ!?」の世界である