ハイドンすごいぜ!
これまで、ハイドンには全く興味がなく、ほとんど聞いたことがなかった
しかし、ピアノ教室でバッハの「インベンション」を練習したことで、ピアノに対するイメージが根本的に変わってしまった
ハイドンすごいぜ!になってしまったのだ
これまで、ベートヴェンすごいぜ!と思って、ピアノソナタ8番「悲愴」の練習ばかりやっていたのだが、ペダルを踏まずに、音の「強弱」や「長さ」を表現すること、つまり「運指」「打鍵」によるスタッカート、レガートの面白さにハマってしまったのである
おそらく、独学ではなく最初にピアノ教室に通っていれば、当然に基本として教えてもらうことなんだろけど・・・
僕はベートヴェンの「悲愴」から始めてしまったものだから、「ペダル」をどう使って表現するかばかりに気を取られてしまった気がする
これまで考えたこともなかったのだが、バッハの「インベンション」って、まったくペダルを使わずに弾けるのである、いや使わないで「運指」「打鍵」だけで表現した方がいい、というか面白いのだ
まだインベンションは自分なりに「仕上がっている」とは思えないが、ピアノの練習はいろいろな曲をやった方がいい、と言うのが一般的な考え方だし、自分も面白い
じゃあ、ベートヴェンを並行して練習するのか?と考え込んでしまった
せっかくペダルを使わずに表現することの面白さがわかってきたのだから、できるだけペダルを使わないで弾ける曲がいい、でも「ツェルニー」や「ブルグミュラー」など知らない練習曲はモチベーションが上がらない
ではピアノ歴史を辿れば、バッハの次は誰か?
個人的には「モーツァルト」かなと思い、先生と話して「K310」を選曲したのだが、初見ではどうもペダルを使わないと表現しずらそう
つまり僕の技量では
レガートするには「指が足らない!」
先生も「ところどころペダルを入れていきましょう」とのこと
そこで、ちょっと立ち止まった・・・・モーツァルトの前に
ハイドンがいるじゃないか!
と思い、さっそく「chatGPT」に聞いてみる(「ググる」と広告など情報量が多すぎる、最初は基本的な簡単な情報が欲しいので・・・)
フランツ・ヨーゼフ・ハイドンの代表的なピアノソナタはいくつかありますが、特に有名なものをいくつか挙げます:
- ピアノソナタ第52番 変ホ長調 Hob. XVI:52 – これはハイドンの最後のピアノソナタであり、その壮大さと技術的な要求が高く評価されています。
- ピアノソナタ第48番 ハ長調 Hob. XVI:48 – 明るくエネルギッシュな作品で、多くのピアニストに愛されています。
- ピアノソナタ第50番 ハ長調 Hob. XVI:50 – 優雅で洗練された楽章が特徴のソナタです。
- ピアノソナタ第31番 変イ長調 Hob. XVI:46 – 美しい旋律と豊かな和声が印象的な作品です。
これらのソナタはハイドンのピアノ作品の中でも特に人気があり、演奏される機会が多いです。
52番が最後のピアノソナタということは、ハイドンはピアノソナタを52曲書いているということですね、どんな曲を書いているのかと思って、Apple Musicで検索すると、「全集」を出しているピアニストはこの人しかいなさそう
40番以降、後半の曲を聴いてみると、なかなかいいではないか!
そういえば、バッハ大好きな「グレン・グールド」はハイドンをどう思っていたか
グレン・グールドは、フランツ・ヨーゼフ・ハイドンに対して高い評価を持っていました。彼はハイドンの音楽のユーモア、創造性、構造的な精巧さを称賛し、その作品に対する深い理解と敬意を示しました。
具体的には、グールドは以下の点を評価していました:
- ユーモアとウィット:グールドはハイドンの作品に見られるユーモアと機知に富んだ要素を高く評価し、これらの要素がハイドンの音楽を魅力的にしていると考えていました。
- 創造性と革新性:グールドはハイドンが形式や構造の面で革新的であり、特にソナタ形式の発展において重要な役割を果たしたことを評価しました。
- 音楽のバランスと秩序:グールドはハイドンの音楽がバランスと秩序を持っていることを賞賛し、特にその和声とリズムの扱いに感銘を受けていました。
- パフォーマンスへのアプローチ:グールド自身もハイドンのピアノソナタを演奏しており、その演奏ではハイドンの音楽の細部にまで注意を払うことで、作品の魅力を最大限に引き出そうとしていました。
グールドのハイドンに対する評価は、その作品の持つ深い美しさと知的な魅力を認識した上でのものであり、彼の演奏や解釈においてもその影響が表れています。
ChatGPT4o
では、モーツァルトに対する評価は
グレン・グールドのヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトに対する評価は複雑で、多面的です。彼はモーツァルトの才能を認めつつも、しばしば批判的な意見も述べていました。以下はグールドのモーツァルトに対する評価の主なポイントです:
- 初期作品の称賛:
- グールドはモーツァルトの初期作品、特に交響曲やオペラに対して高い評価をしていました。彼はこれらの作品における創造性と新鮮さを称賛していました。
- 後期作品への批判:
- 一方で、グールドはモーツァルトの後期作品に対して批判的な見解を持っていました。彼はこれらの作品が形式的で予測可能だと感じており、特に晩年のピアノソナタや交響曲についてはその点を指摘していました。
- 技術と感情のバランス:
- グールドはモーツァルトの音楽が感情表現と技術的な完璧さのバランスを保っている点を評価しつつも、その感情表現が時に浅薄に感じられると述べていました。
- 個人的な演奏スタイル:
- グールド自身はモーツァルトのピアノ作品をあまり頻繁には演奏しませんでしたが、その理由の一つにモーツァルトの音楽が彼自身の演奏スタイルや解釈に合わないと感じたことが挙げられます。彼はモーツァルトの作品を演奏する際に、一般的な解釈に対して独自のアプローチを試みることが多かったです。
- 総評:
- 全体として、グールドのモーツァルトに対する評価は両義的であり、彼の音楽に対する深い尊敬と批判的な視点の両方が混在しています。この評価は、グールド自身の音楽的な哲学とアプローチが強く反映されたものです。
グールドのモーツァルトに対する意見は、彼自身の音楽に対する独自の視点と高い要求水準を示しており、彼のモーツァルトに対する評価は単なる賛辞や批判にとどまらず、深い洞察を含んでいます。
では、グールドは古典派に対しては
古典派の軽重
バッハの演奏解釈が最初驚きをもって迎えられつつも、高い評価とともに後の演奏家に絶大な影響を及ぼすようになったのに対して、現在においても評価が分かれているのが、グールドの古典派作品の演奏である。
モーツァルトについて、「(夭折したのではなくて、むしろ)死ぬのが遅すぎたのだ」とまで述べたグールドは、苦痛な作業と言いながらもソナタ全曲録音を行っている。その極端に速い、または、遅いテンポ設定や分散和音の多用、逆アルペジオなどの独創的解釈は、毀誉褒貶に晒されることとなり、リリー・クラウスは、「あれだけの才能を持っているのだから普通に弾けばよいのに」ともらしたと伝えられている。
ベートーヴェンについて、その楽曲ごとに賛否両論を唱えたグールドは、若年より、多くの録音を残している。ベートーヴェンについても、グールドの極端なテンポ設定などの異端な解釈が賛否を呼んでいる。
ハイドンについては、長きに渡って演奏や録音の頻度が少なかったグールドであったが、その最晩年になって、「ロココ時代への偏見の例外」としてハイドンへの興味を示し、後期の6つのソナタを当時の新技術であったデジタル録音にふさわしい題材に選んで録音している。
wikipedia
ハイドンは「ロココ時代への偏見の例外!?」、グールドは自分で「ロココ時代」の作曲家に偏見を持っていると正直に言っている
そもそも「ロココ」って何?モーツァルトって「ロココ」なの?上のwikipediaの説明では
ロココ(Rococo)とは、美術史で使われた用語で、バロックに続く時代の美術様式を指す。18世紀、ルイ15世のフランス宮廷から始まり、ヨーロッパの他国にも伝えられ、流行した。
美術史の時代的な類型らしいが、「ルイ15世のフランス宮廷」というところから、何か「大衆的」「退廃的」なもの感じる、「文化的に軽薄で浅い時代」と言ったら言い過ぎだろうけど、次の「新古典主義」と言われる時代にはこうある
新古典主義(しんこてんしゅぎ、英語:neoclassicism)は、18世紀中頃から19世紀初頭にかけて、西欧で建築・絵画・彫刻など美術分野で支配的となった芸術思潮を指す。それまでの装飾的・官能的なバロック、ロココの流行に対する反発を背景に、より確固とした荘重な様式を求めて古典古代、とりわけギリシアの芸術が模範とされた
https://ja.wikipedia.org/wiki/新古典主義
ベートヴェンあたりから新古典主義に入るのだろうか、ギリシャ・ローマ時代が大好きな僕には共感するものを感じる
僕はポピュラー音楽でも、「流行に反発する」ブリティッシュ・パンクとそこから派生したポストパンク・ニューウェイブ、アメリカならメインストリームではなくオルタナティブといわれるような反社会的、革新的な音楽が好みだ
モーツァルトは「ロココ時代」なのか「新古典主義の時代」なのかわからないので、またchatGPT
モーツァルトは、ロココ時代と新古典主義時代の間に活動した作曲家です。彼の作品は、これらの時代の両方の要素を持っています。
ロココ時代(18世紀前半から中頃)
- 特徴:ロココ音楽は軽やかで装飾的なスタイルが特徴で、フランスの宮廷文化に由来します。音楽は華麗で優雅、装飾音が多く用いられました。
- 代表的作曲家:フランソワ・クープランやジャン=フィリップ・ラモーなど。
新古典主義(18世紀後半)
- 特徴:新古典主義は古典的な均衡と調和を追求し、形式的な完璧さを重視しました。この時代は音楽の形式や構造が発展し、ソナタ形式が確立されました。
- 代表的作曲家:ヨーゼフ・ハイドン、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(モーツァルトの後期と重なる)。
モーツァルトの位置づけ
- ロココの影響:モーツァルトの初期の作品には、ロココ時代の影響が見られます。彼の作品は軽やかで優雅な部分が多く、宮廷音楽の伝統に則ったものも多いです。
- 新古典主義の要素:モーツァルトの後期の作品は、新古典主義の特徴である形式的な完璧さと調和を追求しています。彼の交響曲、オペラ、ピアノ協奏曲などはこの時代のスタイルに一致しています。
モーツァルトの音楽はロココと新古典主義の橋渡し的な存在として、両時代の要素を融合させた作品を生み出しました。したがって、モーツァルトはロココ時代から新古典主義時代への移行期に活動した作曲家といえます。
うん?ハイドンはベートヴェンと同じく「新古典主義」に分類されているではないか!?
考えてみれば、ハイドンは長寿(1732年3月31日 – 1809年5月31日)であって、「新古典主義」の時代の18世紀後半が最も活躍したと見られる壮年期にあたる
彼は30年近くもの間エステルハージ家で働き、数多くの作品を作曲した。1760年代後半から1770年代はじめにかけて、ハイドンは短調を多用し実験的ともいえる多彩な技法を駆使する一時期があり、・・・中略・・・1768年から1773年頃をハイドンの「シュトゥルム・ウント・ドラング(疾風怒濤)」期と呼ぶようになった
https://ja.wikipedia.org/wiki/フランツ・ヨーゼフ・ハイドン
「ピアノソナタ」と称しているが、実際にはこれらの作品がピアノ(フォルテピアノ)用であるかチェンバロ用であるかは明らかでない。1760年代のものはチェンバロ用、1770年代の曲も大体チェンバロ用または両用であるが、1780年代になるとピアノを想定した曲が増え、1780年代後半以降はっきりピアノ曲になる[1]。
ハイドン本人は1788年にはじめて自分のピアノを持ったのであり、ピアノで作曲された最初の曲は第49番(ランドンでは第59番)である[2]。
なお、初期においてはハイドンはソナタではなくディヴェルティメントやパルティータと呼んでいる。最初にソナタの語が使われたのは第20番(1771年)である[3]
https://ja.wikipedia.org/wiki/ハイドンのピアノソナタ一覧
ハイドンの1770年以降のピアノソナタ、とくに最後の52番の出だしなどは、「これがハイドン?ベートーヴェンじゃないの?」と思えるのは僕だけだろうか
グールドには、モーツァルトの後期の作品やベートヴェンなど「新古典主義」、つまり音楽的「古典派」に対しては上記wikipediaのように「ロココ時代」同様、もしくは「その次に」批判的な偏見があったように見える
ただ、新古典主義であってもハイドンについては、形式にとらわれない革新的な部分を見出して再評価しているようだ
ハイドンよりも若いモーツァルトについては、若くして夭折(1756年1月27日 – 1791年12月5日)したせいなのか、新古典主義の時代では革新的な部分が見出せなかったのか、グルードとしては何か物足りないのかもしれない。確かにハイドンを聴くと、「おお!そうきたか!」と驚くようなフレーズがモーツァルトよりも多い気がする
ハイドンの経歴を見ると、いわゆる「音楽の先生」つまり「学者」として生活の糧を安定して得ていたようだ。一方のモーツァルトやベートヴェンは、とても「学者肌」とは思えないので、実はハイドンの方が音楽への取り組み方が自由で「革新的」だったのかもしれない
「革新的」音楽家といえば、ポピュラーならビートルズ、ジャズならマイルス・デイヴィス、クラシックならベートヴェンとドビュッシーと言って憚らなかった僕にとっては、ハイドンは新鮮な発見であった
ハイドンとモーツァルト・・・・バッハの次の曲はハイドンに傾いてきた
さっそく楽譜を買いに行こう