国債償還によるいい話
国債償還にあてる資金が巨額になるうえ、・・・数年たてば政府債務をすべて返済できるほどになり、弱体化し衰えてきた帝国が活力を完全に回復すると考えられる。
同時に、国民は生活必需品か製造業の原材料に対する税など、とくに負担が重い税から解放される。
国富論第五編第三章 政府債務
国債の償還はその利子も含めて、国民が税金として負担しなければならない。
国債の償還によって政府債務がすべて返済されれば、国民の税負担は軽くなる。
アダムスミスの時代、所得税がないので、ここでいう税負担とは「物品税」、我々は「消費税」と考えてよいだろう。
このため、下層労働者はこれまでより生活が楽になり、安い賃金で働けるようになり、商品を安い価格で市場にだせるようになる。
国富論第五編第三章 政府債務
商品が安くなって需要が増え、その結果、商品を作る労働の需要が増える。
労働の需要が増えれば、下層労働者は数が増え、生活水準が向上し、消費が増える。
物品税を維持できる商品の消費も増えるので、税収が増加する。
10パーセントの消費税が減税によって5パーセントになれば、商品価格は5パーセント安くなる。
「生活が楽になると安い賃金で働けるようになる」という部分がよくわからないが、おそらく、「安い賃金で働くくらいなら、公的助成(生活保護など)に頼った方がいい」と考える下層労働者のことをいっていると思われる。
消費量が増えることによって、その生産のために必要な労働市場における需要と供給も増えるという好循環が生まれる。
労働賃金が安くても生活が楽になれば、そのような下層労働者も労働意欲がわいて労働市場へ参加するということだろう。
そして、たとえ、消費税が5パーセントになっても労働者とその消費量が増えたことによって、消費税10パーセントのときよりも、税収が増えるという理屈だ。
とてもいい話です。
日本の今
現在の消費税、一般会計として国債の利払いと借り換えのために使われている。
国債は期間はあるものの、その借り換えを続ければ、アダムスミスのいう「永久債務」にほぼ等しいものと思われる。
ただ、公正で適切な税制によって税収を増やし国債を償還することが、さらなる税収の増加に寄与するとは考えにくい。
公正で適切な税制とは、国民の労働意欲の向上によって生産性が上がるような税制ということであろう。
生産性の向上が先にあって、国債の償還はその結果として現れるように思える。
政府債務が増え続けるということは、国民の生産性が低いことの表れといっていいと思う。
倹約と忍耐
「欲しがりません、勝つまでは」
日本人は倹約、忍耐を美徳とする傾向がある。
アダムスミスがいうように「倹約」は大事である。
しかし、それは倹約する余裕があってこその話であって、倹約する余裕がない下層労働者にとっては「忍耐」を強いることにほかならない。
そうすると、上記とは逆の「生活は楽にならないなら働かない」という労働意欲の低下に向かうことになる。
労働意欲がすべて
必要なことは「倹約」や「忍耐」ではなく、「今の生活をより豊かにしたい」、「バブル脳」と言われることを恐れず言い換えれば「贅沢に対する欲求」「浪費という欲望」だと思う。
そして大事なことは、そのために必要となる国民一人一人の「労働意欲」の向上ではないだろうか。
アダムスミスの「国富論」を読むたびに、どうしてもそこに行きつくのである。
倹約、節約、忍耐、デフレ思考、貯蓄思考、このような日本人の「美徳」とされる消費行動が変化しないかぎり、このまま「停滞」から「没落」への道筋を辿るような気がしてならない。