十字軍
カトリック教会の分裂(大シスマ)
395年、テオドシウス1世の死によってローマ帝国が最終的に分裂した後、西ローマ帝国の傭兵隊長、ゲルマン人のオドアケルは、476年クーデターによって、皇帝ロムルス・アウグストゥルスを追放、480年、最後の西ローマ皇帝ユリウス・ネポスの死去によって西ローマ帝国は滅亡した。
西ローマ帝国内に定住したゲルマン人たちは、中世の中ごろ(9世紀 – 10世紀)までに中欧・西欧・北欧のほとんどがカトリックに改宗してカトリック教会を信仰したが、東西両地域は元来異なる文化圏に属し、それぞれギリシア語圏(東)とラテン語圏(西)に分かれた。
やがて東ローマ帝国のコンスタンティノポリス総主教庁(正教会)と西ローマ帝国のローマ教皇庁(西方教会)は、東西教会として決定的に対立する。
1054年、ローマ教皇とコンスタンディヌーポリ総主教が相互に破門、キリスト教会は正式にカトリック正教会とローマ・カトリック教会に分裂する。この分裂は史上最大のキリスト教会の分裂であるため大シスマと呼ばれる。
神聖ローマ帝国
https://ja.wikipedia.org/wiki/神聖ローマ帝国
西ローマ帝国は800年、カトリック教皇によるカール大帝戴冠によって再興し、ローマカトリック教会のキリスト教世界を理念とするオットー1世の即位(962年)を始まりとする神聖ローマ帝国(〜1806年)に引き継がれる。
十字軍
https://ja.wikipedia.org/wiki/十字軍
11世紀末から13世紀末(1096-1303年)まで、約200年間にわたって展開された、西ヨーロッパのキリスト教勢力による、西アジアのイスラーム教圏などに向けての軍事活動である。
1095年、イスラーム教徒であるセルジューク朝の侵攻にさらされていた東ローマ帝国(ビザンツ帝国)皇帝アレクシオス1世がローマ教皇(西方教会)に要請したことが発端である。
聖地エルサレムをイスラム教諸国から奪還することが目的であったが、実態は、中東の諸教会(正教会・東方諸教会)の教区が各十字軍の侵攻後にローマ・カトリック教会(西方教会)が設置されたほか、第4回十字軍や北方十字軍などでは、(東ローマ)カトリック正教会も敵として遠征の対象となっている。
また、目的地もエルサレムにかぎらず、第4回以降はイスラム最大勢力であるエジプトを目的とするものが多くなり、最後の十字軍とされる第8回十字軍(1270年)は北アフリカのチュニスを標的としている。
十字軍国家
https://ja.wikipedia.org/wiki/十字軍国家
巡礼のために聖地エルサレムに到着した騎士や兵士は、現地でイスラム勢力との戦闘に参加することもあった。
十字軍国家は、地中海東部のシリア・パレスチナ沿岸(レヴァント)の聖地にそのまま住みついた騎士らや、聖地で生まれ育った遠征軍の末裔らが形成した封建制国家群である。
第1回十字軍の後、間もなく、最初の4つの十字軍国家がレヴァントに成立した。
(エデッサ伯国、アンティオキア公国、エルサレム王国、トリポリ伯国)
1144年、エルサレム王ボードゥアン1世によって建国されたエデッサ伯国が、ムスリムの指導者ザンギーによって最初に陥落した。
1187年にアイユーブ朝(エジプト、シリア、イエメンを支配したイスラーム王朝)はジハード(聖戦)を宣言、およそ90年ぶりにエルサレムがイスラム側に占領、奪還された。
第3回十字軍(1182年 – 1192年)が3人の国王(フランス王フィリップ2世、イングランド王リチャード1世、ローマ皇帝フリードリヒ1世)により派遣され、十字軍はキプロス王国を建国した。
第4回十字軍(1202年 – 1204年)の際、東ローマ帝国が征服され、ラテン帝国、テッサロニキ王国、アテネ公国、アカイア公国の四つの王国が建国されたが、聖地エルサレムの奪還を成し遂げることはできなかった。
1224年と1261年、テッサロニキ王国とラテン帝国は、それぞれ東ローマ帝国にに再征服されるが(コンスタンティノープルの回復)、アテネとアカイア公国のペロポネソス半島は、15世紀にオスマン帝国に征服されるまで支配し続けた。
これら十字軍国家が聖地エルサレムにおいて継続的にイスラム諸国と戦うのも十字軍である。
第6回(1228年-)は破門された神聖ローマ皇帝による私的な十字軍(フリードリヒ十字軍)として数えない例もあった。
1270年の聖王ルイの出征まで8回(または7回)とすることが多いが、異論もある。