救貧法
イングランドの救貧法
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宗教改革の波及
宗教改革は、裕福な者が自発的に貧しい者を救うというカトリック教会の救貧のありかたを一変させた。
マルティン・ルターは1520年に発表した『ドイツ貴族に与える書』で「怠惰と貪欲は許されざる罪」であり、怠惰の原因として物乞いを排斥し、労働を「神聖な義務である」とした。
都市が責任を持って『真の貧民』と『無頼の徒』を峻別して救済にあたる監督官をおくことを提唱した。
カルヴァンは『キリスト教綱要』でパウロの「働きたくない者は食べてはならない(新約聖書「テサロニケの信徒への手紙二」3章10節[1])」という句を支持し、無原則な救貧活動を批判した。
こうした思想はイングランドにも持ち込まれ、囲い込みなどによって増えつつある貧民への視線は変わりつつあった。
囲い込み〜ノーフォーク農法などの高度集約農業の導入のために、細かい土地が相互に入り組んだ混在地制における開放耕地 (Open Field) を統合し、所有者を明確にした上で排他的に利用すること。囲い込みによって仕事を奪われた農民が労働者となり、産業革命に労働力を供給した
修道院が解体され、困窮者がその慈善活動に頼れなくなり、貧困救済者のいくつかの試みが失敗に終わった後、エリザベス一世時代の1601年に救貧法が制定された。
国富論第十章第二節