カペー朝(フランス)
https://ja.wikipedia.org/wiki/カペー朝
https://www.y-history.net/appendix/wh0601-098.html
西フランク王国のカロリング朝の姻戚関係にあり、カロリング朝が断絶したあと、987年に西フランク王ロベール1世(ロベール朝)の孫にあたるパリ伯ユーグ・カペーがフランス王に選ばれて成立した。
1328年まで15代の王が続き、また後のヴァロワ朝やブルボン朝、オルレアン朝に至るまでフランスの歴代の王朝はみなカペー家の分族から出ており[1]、男系継承を長期に亘って維持した。
フランスの王位継承者は、サリカ法典により男系のカペー家の子孫のみが継承権を許されている。しかし、フィリップ4世の娘イザベルとイングランド王エドワード2世の間に生まれたエドワード3世がカペー家の相続を主張してフランスへ侵攻し、ここに百年戦争が勃発することになる。