薔薇戦争

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薔薇戦争

1455年5月22日 – 1487年6月16日

https://ja.wikipedia.org/wiki/薔薇戦争

https://www.y-history.net/appendix/wh0603_2-049.html

1455年から1485年まで、百年戦争の後のイギリスの王位継承をめぐる内戦。プランタジネット家の男系傍流であるランカスター家ヨーク家の、30年に及ぶ権力闘争でもある。

ランカスター家が赤薔薇、ヨーク家が白薔薇をバッジとしていたので薔薇戦争と呼ばれている

百年戦争終戦後に発生したイングランド中世封建諸侯による内乱であり、実状としては百年戦争の敗戦責任の押し付け合いが次代のイングランド王朝の執権争いへと発展したものと言える。

最終的にはランカスター家の女系の血筋を引くテューダー家ヘンリー7世が武力でヨーク家を倒し、ヨーク家のエリザベス王女と結婚してテューダー朝を開いた。

領主層が没落し、王権が強化される結果となった。

百年戦争の後始末

1430年代以降、大陸での戦況が不利になるとフランスから嫁いだヘンリー六世王妃マーガレット・オブ・アンジューやサマセット公エドムンド・ボーフォートをはじめとするヘンリー六世側近の和平派(ランカスター派)とプランタジネット家傍流のヨーク公リチャードを中心とした主戦派(ヨーク派)とが権力闘争を繰り広げるようになった。

百年戦争は、1450年にはノルマンディを奪われ、1453年にはギエンヌ地方の中心地ボルドーを占領されイングランドの敗北に終わった。

主戦派(ヨーク公)は、1455年、セント=オールバンズで国王を襲撃(第1次内乱)。

1460年にヨーク家リチャードが戦死するが、その子エドワードは、有力貴族ウォーリク伯の支援を得て逆襲し、1461年にロンドンに入り、貴族たちに推戴されて王位につきヨーク朝が成立、エドワード4世となった。

敗れたヘンリ6世とマーガレットはスコットランドに逃れた。

前国王である夫のヘンリ6世をスコットランドにおいて、フランスに渡ったマーガレットはルイ11世に支援を要請、またエドワード4世と仲違いしたウォーリク伯を味方にして、1470年にイングランドに上陸、虚をつかれたエドワードはブルゴーニュ公シャルルを頼ってネーデルラントに逃れた。

マーガレットはヘンリ6世を復位させたが、翌年エドワードがルイ11世と対立していたブルゴーニュ公の援軍を得て戻ってくると、国内の貴族とロンドン市民の支持を受けてヘンリ6世を再び捕らえ、ロンドン塔に幽閉した。

フランス内の対立と結びついたヨーク家エドワード4世とランカスター家マーガレットの争いは、再びヨーク家の勝利で終わり、ランカスター家とその勢力はほぼ壊滅した(第2次内乱)。

ドワード4世が1483年に死に長子エドワード5世が継承したが、叔父の護国卿グロスター公リチャードはいきなりエドワードをロンドン塔に幽閉し、さらに殺害して王位を奪った。それがリチャード3世で、シェークスピアの『リチャード3世』の主人公として、暴君として描かれている。最近その遺骨が発見されて話題となっている。


バラ戦争の終結 

リチャード3世の王位簒奪と残虐な行いに反発した貴族は、ランカスター家の縁者でブルターニュに亡命していたテューダー家のヘンリ1485年にイングランドに上陸すると、一斉にそれを支持した(第3次内乱)。

ヘンリはウェールズの軍勢などを兵力として、8月にボズワースの戦いでリチャード3世を破り、ヘンリ7世として王位について、新たにテューダー朝を開いた。