荒城の月〜滝廉太郎と山田耕作

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荒城の月〜滝廉太郎と山田耕作

荒城の月は、作曲、滝廉太郎、編曲。山田耕作となっている。(引用)
「花の宴」(ミミレドレ)の歌詞の「え」ところの音階(レ)で、本当はレ#(シャープ)のところを山田耕作がシャープとってしまった(引用)
#をつけると、西洋音楽のメロディになるという。(引用)

滝廉太郎は、26歳(大正◯年)で亡くなっており、山田耕作が編曲(変曲)したのは、滝廉太郎が亡くなってからのことである。

作風の違う日本の偉大な作曲家。
山田耕作が何を思ったのか?
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山田耕作
数多くの軍歌や効果を作った愛国者の山田耕作。
戦後は、戦犯になる可能性もあったという(引用)
法律の分野で言えば「高度な政治的判断」という理論を構築して、米軍の駐留を合憲とした田中耕太郎最高裁判所長官のような、いわば保守派だ。